「微かに感じた温もりの名前をまだ知らない」
いつもの時間、いつもの場所、コーンコーンと音が響く。
その音を聞いて、今日も彼が来たと喜んだ。
嫌いな勉強も、退屈なゲームもほり投げて、カーテンと窓をそっと開ける。
壁に向かって、何か自分にはわからない事を叫びながら、楽しそうにボールを投げる彼を見る。
名前は知らない。
(僕と同じくらいかな?)
(いつも何やってるんだろ?)
(どうして一人なのにそんなに楽しそうなの?)
(そのボール投げ、すごく好きなんだね?)
聞きたいことは沢山あるけど、話しかける勇気何て僕にはない。
それに勉強しなきゃ・・・。僕は"りっぱなおとな”にならないとダメなんだ。
そんな事思いながらも、窓を閉めずにずっと彼を覗き見る。
(今日は青い帽子かぶってるんだ。何の帽子だろ?)
(でも僕知ってるんだ。彼の頭にはいつもヒヨコみたいな寝癖がついてるんだ)
ふふっと笑ってまた彼を見ていると、ふいに彼がこちらに顔を向けた。
(!!)
あまりにびっくりしたから、つい反射的に窓を閉めてしまった。
(びっくりした!びっくりした!)
動揺を隠すように放置していたゲームのコントローラーを握った。
指はゲームをしていても、頭の中では彼の事を考えてた。
(どうしよう・・・見つかっちゃった。もうこっそり見れないかも・・・また・・・来てくれるかな?)
そんな事をグルグル考えていると、窓にコツンコツンと何か当たる音が聞こえた。
(何だろ?)
カーテンをそっと開けてみた。
「あ、みーっけ!ねえねえ、暇ならキャッチボールしようよ!」
彼だ!僕がずっと見てた彼だ!大きな目をクリクリさせながら楽しそうに話しかけてくる。
「野球嫌い!?僕、この辺でキャッチボールしてくれる友達いないんだ!やろーよ!」
少し躊躇しながら窓を開けた。
「何、野球って・・・?僕、そんな変な手袋持ってないし、興味ないよ。」
(ちょっと嫌な言い方だったかな・・・?)
すると彼はあははと大きな声で笑った。
「手袋じゃないよ、これグローブって言うんだよ!」
(笑われた!!)
そう思った瞬間窓を乱暴に閉めてしまった。
しまったと思い、もう一度窓を開けようかと迷っていると、ドアがコンコンとノックされた。
お母さんだ。
急いでゲームを消して、ドリルに向き直った。
「ちゃんと勉強してる?」
「う、うん・・・。」
「しっかりね。今、がんばって慶林小に入っとけば将来ずっと楽になるんだから!」
「わかってるよ・・・。」
(ほんとうに?)
「じゃあ、お母さんフィットネスクラブに行ってくるから・・・帰ってくるまでに、そのドリル終わらせとくのよ!」
お母さんはケーキと紅茶を置くと、ちょっと臭い香水をプンプンさせて上機嫌に出て行った。
(・・・・・)
ドリルを何問か解こうとする。外からはもうコーンコーンという音は聞こえない。
彼は帰ってしまったんだ。僕が怒らせた。
(せっかく話しかけてくれたのに・・・・キャッチボールしようって・・・・)
お母さんの臭い香水と、ボールの音が聞こえない静かな部屋と、目の前にある数字がびっしり書かれているドリルと
何かもうどうでもよくなって、気づけばドリルの回答欄に“ばか”と書いていた。
(・・・・・・さみしい・・・・・・)
寒い孤独を温めるように、ぬるくなった紅茶を一口啜る。
(やっぱり冷たいや)
その時ピンポーンと玄関のベルが鳴った。
(・・・・・?)
「おかーさん、もう行っちゃったのぉ〜!?」
そう言いながら階段を降りて行くとお母さんはどこにもいなかった。
ピンポーンとまた催促するように鳴った。
(誰だろ・・・)
仕方なく重いドアを開けると。
「わっ!!!!」
彼がドアの隙間から大きな声で顔を覗かせた。
「うわっ!!!!????」
あまりにも予想外で、玄関のタイルに思いっきり尻を打ちつけた。
「あ、ごめん、びっくりしたぁ?」
そんな僕にはおかまいにしにズカズカと家の中に彼が入ってきた。
「へへっ、うちに戻って古いグローブ持ってきたんだ!!これで一緒にキャッチボールやろーよ!!おもしろいよ!!」
家の中に太陽が入って来たみたいだった。
彼はニコニコして、僕が言った何一つ責めてくることはなかった。
ボーっとそんな彼を見ていると、彼は勢いよく僕の腕をつかんだ。
「ね、やろやろ!」
「あ、ちょ、ちょっと僕は・・・・」
腕をぐいぐい引っ張られる。その触れた部分から自分のじゃない体温が伝わってくる。
(・・・・温かい・・・・)
彼の名前は本田吾郎。
僕に始めて野球と温かさを教えてくれた友達。
***
お母さんの香水が臭いかどうかは知りませんw
あのシーンはもうこう想像しろって言うようなもんじゃないですか!(黙れ
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